教育は、知育、体育よりも徳育を
文部省の基本的な教育方針によれば、知育、徳育、体育を進める、ということになっています。しかし、現在は、知育を進める方が主となり、その次に、体育、そして、徳育については形式だけに見るのが現状ではないでしょうか。この徳育をどう進めていくのか、という点について、もっと深めなければなりません。徳育とは、心の面を育てることです。心を育てるにはどうしたらいいのか、ということが明確になっていないのではないでしょうか。日本には精神性を育ててきた文化があります。その一つが武道です。そして、伝統芸術もそうでしょう。これらが人間生活にどう影響するのか、真剣に考えられていないのではないかと捉えています。武道の教室では、「礼に始まり礼に終わる」というようなことを教えます。茶道では、「和敬清寂」というような禅の言葉を教えます。これらの言葉に代表される精神性の高さというものが重視されるものが、日本の文化であると理解しています。こうしたことは、教育の面で生かされているのかどうかが不明です。体育の授業、美術の授業、そこに於いて教えるのは技術面、知識面だけだと理解しています。もっと深みのある内容にしていくことが大事です。松井秀樹が座右の銘にしているフレーズがあります。心が変われば、考えが変わり、考えが変われば行動が変わり、また、行動が変われば人生が変わり、人生が変われば運命が変わるというような内容のフレーズです。教育の分野において、心鍛え、心を育て、人間として立派な考えを持ち、その考えに基づいて行動する人間を育てなければならないのではないでしょうか。こう言う徳育こそ、本来なすべきことであると受け止めています。
心を育てるということは、学校ばかりではなく家庭でもできることです。学校で覚えて来たことも家庭で活かす、また、実際の生活の場で生かすということもしていかなければなりません。知識はもちろん活かせます。体育で覚えたことも生かせるでしょう。しかし、心の面をどう育てていったらいいのか、わからないのが現状ではないでしょうか。そのあり方を学校できちんと教えることが重要です。もちろん、こうしたことを教えている家庭もあるでしょう。しかし、皆が心を育て、考え方がしっかりし、しっかりした考え方に基づいて行動する人で構成する社会となったらどうでしょうか。社会は今より良くなるはずです。政治のカネの問題も無くなるでしょう。社会の様々な問題も無くなるかもしれません。社会の改善に役立つためのものを教えるのが学校の役目ではないでしょうか。それを補うのが家庭ではないでしょうか。知識だけを増やしても社会は良くなりません。その知識をきちんと役立てる人を育てる人をつくることが大事です。そういう学校、また、家庭、そして社会が求められているのではないでしょうか。